どうすればいいか

すごい会議というメソッドが社内で大流行中です。
本を読んだ限り、別に悪い方法だとは思わないし(むしろ効果はあると思う)けど、まるでちょっとした熱病のようにみんなが(一部の人はきちんと内容をわかっているんだろうけど)浮かされてる感じがして、正直ちょっと引いてしまいます。
 
要約すると問題を「どのようにすれば○○になるだろうか?」という風に書き換えてみろってことだと思うのですが、これがくせもの。
 
まだ、会議未体験の私としては、そもそも「どのようにすれば解決するか」ただ言い換えただけで解決するぐらいのことなら、最初からそうしてるよ、と匙を投げたくなることだって多々あるわけです。
 
どれだけ考えても、どのようにすれば解決できるか、その道筋が見えないからこそ悩んでいるわけだし、どうかんがえても自分で解法が見つけられないから、他人の意見を参考にしようと聞いているのに、そこで「どうしたらいいと思う?」という質問で畳み掛けられても、いらついたり落ち込んだりこそすれ、それこそなんの解決にもならない。
 
人によってはそれを愚痴と切り捨てるんだろうけど、個人的には、もやもやしたものを、もやもやしたままの状態で吐き出すことにはそれなりの意味があると思っています(カウンセリングを受けているとよくわかる。もやもやしたものを吐き出してるうちに、何に自分が拘っていたのか、どこが解決すればいいのか気がつくなんてことは日常茶飯事)。
 
ようは、こうやって(他の視線を意識しながら)日記を書いている段階で、すでにもやもやの一部はどうしたらいいのか道筋が見えてきているし、それは、自分の頭の中だけで考えていたって、ぜんぜん見えてこないことなのだと思う。(だから、ブログというのは距離感がちょうどいい。ほとんどの人は素通りしていくだろうけど、もしかしたら誰かが見ているかもしれないという程度の緊張感はある)
 
つまり、こういうこと。たぶん、半日(でもないか…)やるせない気分ですごしてしまったことが今日の問題で、
 
どのようにすれば、こんなやるせない気分にならなくてすむのだろうか。
 
というのが、すごい会議式問いかけ。
 
で、これの答えは多分、簡単なのだ。
相手の意見を疑問を持たずに丸ごと受け入れるか、あるいは、話す相手を選ぶこと。
話さなければいけない相手が決まっているのなら、相手に対して過剰な期待をかけないこと。
 
どうすれば、これが守れるか、というのは今後の検討課題ではあるけれど。
 

それにしても、読み返してみると見事なぐらい最初と最後で文体がばらばら。これを統一した文体で書けるようになれば、その問題は解決した、というバロメーターなのかもしれない、と思ったことです。